過労で倒れ病院に運び込まれたアレックスは、 翌日、生暖かな温もりを唇に感じ、目を覚ました。
ぼんやりと目を開けると、誰かが自分に覆いかぶさり、キスをしていた。
「うわぁああああ! だ……誰だ?」
アレックスは思わず、思わず男言葉でその男を突き飛ばした。
突き飛ばされた相手は、すっころんだ。
「あいたたた……」
「あっ! 貴方は……!」
そこにいたのは、ヴァイオレットだった。
「親指姫は、キスで目覚めると言うのは本当のようだ」
「それは眠り姫だ! ……じゃなくって、眠り姫よ! 何で勝手にキスなんかするの?」
「ふっ。王子は姫を、キスで起こすもの。私の姫よ、もう十二時ですぞ」
時計は十二時十分を指している。
「……昨日夜更かししちゃって……って、何で『私の姫』なの?」
「ふっ。照れなくても良いのです。君が私の事を好きなのは、知っています」
「いや、違うから!」
「恥ずかしがらなくても良いのですよ。私もそろそろ身を固める年ですし」
「ハァ?」
「我が妻に相応しいのは、貴女です! 私は結婚することに決めました」
「勝手に決めるな!」
「金髪と銀髪。色素の薄いもの同士で、色素の薄い子をいざ、作らん!」
そう言った瞬間、ヴァイオレットはアレックスの唇を再び塞いだ。
「うぐぐぐぐぅ……」
跳ね除けようとしたが、さすがは馬鹿力。
本気で抱きしめられると、アレックスは抗いようがなかった。
その時……
コンコンと言うノックの音と共に、「入るぞ」と声がした。
低く艶のあるその声は、ルシガのものだった。
『いやー! やめてっ!』
言葉にしようにも、唇を塞がれているので、声にならない。
カチャ。
扉が開かれ、アレックスはルシガと目が合う。
瞬間、ルシガが眉を顰め「邪魔をしたようだな」と言うと、部屋を出て行った。
アレックスは、ヴァイオレットの唇を強く噛んだ。
「っ痛!」
「馬鹿! 止めて!」
アレックスの目から涙がこぼれた。
「なんと純情な花嫁なのだ。恥ずかしがらなくてもよいのですよ。ルシガも祝福してくれるでしょう」
「花嫁なんかじゃない!」
「ふっ。わかります、貴女気持は。いきなりこの私からプロポーズをされて、喜びのあまり混乱しているのでしょう」
「違う! 出て行って! 出て行ってたっら!」
「わかりました、動揺しているのですね。また参ります」
そう言うと、ヴァイオレットはアレックスに真紅の薔薇の花束を渡し、出て行った。
それは大輪の薔薇が、二十本以上入った豪華なものだった。
「馬鹿っ!」
アレックスはヴァイオレットの出て行った扉に、その花束を投げつけた。
ルシガに見られた……誤解された……そのショックで、暫く涙が溢れて止まらなかった。
ヴァイオレットは、それから毎日やって来た。
どんなに言っても「照れなくていいのです」と、言うばかりで話にならない。
馬鹿の思い込みとは恐ろしいものだ。
しかも並外れたナルシストなので、自分が振られるなど想像してないだけに、アレックスが嫌がれば嫌がるほど、心が燃え上がるようだった。
それに比べ……ルシガの顔は、あの日以来、一度も来ることもなく、アレックスは退院した。
ベッドの上で柔軟はしていたとはいえ、ダンサーにとって1週間練習を休むと言う事は、大変な事だった。
筋肉が固まり、鈍くなった動きを、1週間後に控えた最終選考までに戻さなければならない。
アレックスは午前中、筋肉をほぐすことに集中しようとした。
しかしヴァイオレットが、バレエ団中に「婚約した」と言って回っているようで、館内はその話題でもちきりなのが、彼を苛立たせた。
どんなに否定しても、どの人も「照れなくていいのよ」と言うばかりで、相手にしてもらえない。
『だめだめ、こんな事に気を取られてたら。今は集中しなきゃ!』
そう思いながらバーレッスンしていると、馬鹿……いや、ヴァイオレットがやって来た。
「我が姫! 今日もなんとお美しい」
無視するアレックスを、ヴァイオレットが付きまとう。
そしてこういう時に限って運悪く、ルシガがやって来るのだ。
ルシガは2人を一瞥したが、すぐに視線をずらした。
アレックスは、泣きたい気持ちでいっぱいになる。
暫くするとルシガがパンパンと手を打ち、集合を掛けた。
「では今日から私が君らのパートナーをやる。私の感想も最終選考の評価につながるので、真剣にやるように」
『ルシガ先生が、パートナーを!』アレックスの、心は躍った。
「ではまずベティーから」
そう言ってベティーが呼ばれ、2人が音楽に合わせ踊り出した。
『薔薇姫とドラゴンの騎士』は継母に美しい髪を切られ、城を追い出された薔薇姫が街をさまようシーンから始まる。
「自分は王女だ」と言っても街の人々は「王女は美しく、長い髪を持っているはずだ」と信じない。
やがて姫は嘘つき呼ばわりされ、街にいられなくなり、森に迷い込む。
その森の誰もいない古城に、悪い魔女に姿を変えられた騎士が1人で住んでいた。
騎士は昼は人間だったが大きな長い尻尾と、醜い蝙蝠の様な羽、そして頭には角がある姿で、夜になると竜になる魔法を掛けられていた。
薔薇姫はドラゴンの騎士の心の美しさに一目ぼれするが、騎士は「こんな醜い自分を愛するなどありえない」と信じない。
そんな時、姫の命を狙う継母の手の者に、騎士は片目を射抜かれてしまう。
ますます醜くなった自分の姿を見せたくない騎士は、薔薇姫を城から出す。
その薔薇姫を継母である実は魔女が、直々に殺そうとする。
それを知ったドラゴンの騎士は、魔女を倒し、人間の姿に戻るが、片目を失っていることに引け目を感じる。
そして薔薇姫は「貴方ほど美しい人はいない。片目の重さより、より重い美しい心を貴方は持っている」と求婚し、騎士もそれを受け王となる……と言う、話だ。
1週間ぶりに見たベティーの演技は、上達していた。
それは本人の努力によるものもあるだろうが、ルシガの見事なアシストによるものが強かった。
ベティーの良さを引き出し、踊りやすいように補助している。
一通りベティーに踊らせると、ルシガは「お前もできるか?」とアレックスに訊く。
「やります!」と言ったものの、1週間のブランクで自信がなかった。
それでも踊り始めると、思ったより身体が動いた。
きっとイメージトレーニングしていたのが、良かったのだろう。
『ありがとう、白薔薇おじさん!』とアレックスは感謝した。
しかしルシガとのグラン・パ・ドドゥ(男女の踊り)の部分になると、勝手が違ってきた。
ルシガに触れられる度に、身体がビクンと反応してしまう。
触れられた部分が熱く火照り、体が強張るのだ。
ルシガは動きを止めると「こんなのでは、踊れない!」と言った。
「午前のレッスンは終わりだ。今から最終選考用の仮の衣装を作る為に、衣裳部に行ってボディーを計って来い」
「あ……あのぅ……私は、妹に衣装を作ってもらいます……」
「何?」
「服飾の勉強をしてるんです。お願いします!」
「ダメだ。衣裳は2人揃えなければ。衣裳部で作るんだ」
「でも……」
「我儘は聞かない!……それとゴンザレス、ちょっと来い」
ルシガはアレックスを無視すると、ヴァイオレットと話を始めた。
『だって……身体なんて計られたら……男だってばれるじゃない……』
アレックスは、どうしていいかわからなかった。
万が一主役になれたら、衣装は妹に特別に作ってもらうつもりだったのだ。
それがこんなに早く来るとは思わなかった。
どうしたものかと考えあぐねていたら、ヴァイオレットがやって来た。
「どうしても2人で話さねばならぬ事があります。中庭で話しましょう」
「今、それどころじゃないのよ!」
「ルシガの頼みです。薔薇姫にも関係のある事ですよ」
「ルシガ先生の?」
ルシガの名前を出されては、アレックスはついて行くしかなかった。
コートを着て中庭に出ると、雪が降っていた。
「先程ルシガに言われました。……貴女が処女じゃないのかと……」
さすがのヴァイオレットも、頬を染めながらアレックスに話しだした。
「な……何故、ルシガ先生がそんな事を?」
「身体に触れる度、貴女が嫌がっていると言うのです。ははは、それはそうですよね、私以外の人に我が花嫁が、身体を触れさせるのは嫌なのは当然です」
「……」
「だからルシガが言うのです」
「?」
「結婚するのだから……その……コホン。私とあなたは早く結ばれるべきだと」
「……結ばれる?」
「と言う事で、今夜グランドペニンシュラホテルの、スィートを取りました」
「……えっ?」
「私は式を挙げるまで待っても良いのですが、バレエの為にも……今宵、我が花嫁になってください」
「それは……寝るってこと?」
「なんと直截な。……まぁ、そう言う事です」
「それをルシガ先生が言ったの?」
「そうです。処女でなくなれば、パートナーとしてもやりやすいと」
アレックスの目から、涙がポロポロと零れた。
ルシガがそんな事を言ったなんて、信じたくなかった。
アレックスはヴァイオレットをその場に残すと、ルシガの元に走った。
練習場に戻り居場所を聞くと、会議室で舞台装置の打ち合わせをしていると言う。
その足で会議室に飛び込むと、ルシガが女とキスをしていた。
女はアレックスに気付くと、ニコッと笑い「じゃあ、小道具はこれでいいですね?」とルシガに確認した。
「ああ」
「では失礼します」
そう言って、女は出て行った。
「何の用だ?」
ルシガはアレックスの顔も見ずに、訊いてきた。
アレックスは再び受けたショックで、その涙を止めることができなかった。
「先生が言ったんですか? ……ヴァ……ヴァイオレットに……」
「セックスのことか? ああ、言った。お前と寝るようにと」
「どうして……? あの人と、私は何の関係もありません」
ルシガの目がアレックスを見た。
「……そうか、だったら他の男にでも抱かれればいい。でなければ、踊りにくくてかなわん」
「そんな……酷い……」
「用がそれだけなら、もう済んだぞ」
「……それだけじゃありません」
「なんだ?」
アレックスは決心した。
全てを告白することを……。
「私、実は男です……」
「……!」
「そして貴方がずっと好きでした……。気持ち悪いでしょう? 男に好かれるなんて。でも……お、俺はゲイでも、女装趣味でもないです。ただ純粋に薔薇姫が踊りたかったんです。……そしたら、貴方に出会って、何故だか好きになって……しまいま……」
嗚咽が出て、それ以上は言えなかった。
「すみません。……お、俺には、もともと薔薇姫をやる資格がなかったんです。……失礼します!」
そう言うとアレックスは後も振り返らずに、バレエ団を後にした。
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