【はちみつ文庫】 嫉妬は恋の媚薬 1
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□ 嫉妬は恋の媚薬  □

嫉妬は恋の媚薬 1

 その日の夕方、アレックスは特別警察署の廊下を 靴音高く歩いていた。

 『全く……なんて卑劣なやり方なのかしら』

 憤りと悔しさで、顔が赤らんでいるのがわかる。
 誰もいなければ、無造作に置かれたダストボックスを 蹴り倒したいくらいだった。

 怒っていても彼の歩き方はモデルのように美しく、眉間によったシワがその冷たい美貌を際立たせていた。
 一歩ごとに靡く少し長めのライトブロンドと、南国の海のようなブルーの瞳を持つ、人形のように美しい男である。

 データー室の前を通ると、どこからともなく声が掛かる。

「おい、そのケツで俺をイカせてくれよ!」

 キッと振り返ると、誰もが一瞬にしてそっぽを向いた。

「貴方のその粗末な物で、アタシがイケるかしら?」

 そう啖呵を切って、再び足音高く廊下を歩いて行く。

 捜査課の扉を荒々しく開けると、誰もが目を合わせないように顔を背けた。
 そう空気を読めない唯一人の男、マシュー・リーを除いては。

「アレックスさん、部長の話はどうでした?」

 アレックスの彫りの深いアイス・ブルーの瞳で睨まれても、この男は平気なのだ。

「やっぱり、例の件でしたか?」
「ええ。そうよ」

 不快さに眉をひそめて答えるアレックスに気も使わず、マシューは続ける。

「誰がやったんでしょうね。こんなこと」

 彼はその日の朝、各デスクに配られていた、問題のビラを見ながら溜め息をついた。

「それにしても、良く出来た合成で写真すね」
「合成じゃないわよ」
「えっ?」
「若き日のアタシ。学生時代にバイトで写した写真よ」
「……そ……そうなんっすか?」

 さすがのマシューも顔を赤らめ、まずいことを訊いたと思ったらしい。

「だ……大丈夫なんっすか……その……」
「特別警察に入る時の書類に『アルバイト歴・モデル』と、書いてあるから大丈夫よ」
「モデルって言ったって……これは……」
「あら、貴方も部長みたいに差別意識があるの? 人権委員会に訴えるわよ」
「でも……これって……」
「パブリックに発行されたものだから、違法じゃないわよ。失礼ね」

 そう言いながら、アレックスは内心頭を抱えていた。
 十年以上前の過ちが、今になって自分を苦しめるとは……しかし、あの時はこうする以外に方法がなかったのだから仕方がない。
 部長から呼び出されたものの、人権委員会の手前と、入署前の合法な発行物であると言う事から、公の処分は受けずに済んだ。
 署内に配られたビラの噂は、いつかは忘れ去られて行くだろう。

 一番心配なのは、なんらかの方法でこのビラを、ルシガが見てしまう事だった。
 この写真を見たら、あの根が真面目なルシガは何と思うだろう……せっかく順調にいっていると言うのに、こんなことで水を差されてはやり切れない。

 しかし……ルシガに噂話の一つとして、このビラを見せる奴がいないとは言えないのだ。
 特に今目の前にいる、マシュー・リー。
 こいつが一番危ないのだが「お願いだからルシガには見せないで」と、頼めるはずもなかった。
 何しろ二人の関係は、秘密なのだから。

「でも、署内にばら撒く為に、何でビラなんか作ったんですかね?」

 そのとおりだった。
 メールで画像を一斉配信すれば、済むことなのだ。

「署内の人間じゃないんですかね?」
「それは考えられないわ。だったら署外にも、ばら撒くはずだもの」
「じゃあ、パソコンを使えないやつとか? ……はは……そんな奴、いるわけないか……」
「いえ、それよ! マシュー、ここ一週間の夜勤の名簿と……そうね、夜間の出入り表も取って来て頂戴!」
「ええっ? 今から捜査ですかー?」
「どうせ貴方が今夜の当番でしょう。十一時までは付き合ってもらうわよ」
「十一時まで?」
「ええ。十一時半には彼氏と待ち合わせがあるの。ニュー・イヤーを一緒に祝うのよ」
「……それまでの時間潰しっすか……」
「いいから、早く!」

 渋るマシューを追い出すように急きたてながら、アレックスは心に誓った。

『とにかく犯人を見つけ出したら、二度とこんなことが出来ないように、酷い目に合わせてやるから』




 新年を前にして、旧市街地側のベイリック橋の袂にある、時計台の前は人でごった返していた。
 その列は橋の歩道まで溢れ出しており、降り出した雪と共に、新市街地から時計台に向かうアレックスの足の妨げになっていた。

 人波をかき分けるように歩道を歩き、時計台の前まで来ると、少し離れた川沿いの大木に寄り添うように、ひとつの長身の影を見つけた。
 黒いロングコートに、長髪の黒髪、陰りのある美しい横顔は……ルシガに間違いなかった。

「はぁ……間に合った。……良かった……」

 息を切らして走って来たアレックスに、ルシガが声をかける。

「事件でもあったのか?」
「まあね……そんなところ。犯人の目途は付けてきたわ」
「いいのか?」
「ええ。後は、休み明けでいいの」
「? ……そんなものなのか?」

 ルシガが怪訝な顔をした時、新年を告げる時計台の鐘が鳴った。
 リーンゴーン、リーゴーン……幻想的な音と共に「ハッピー・ニュー・イヤー!」と言う、声が所々で上がる。

 アレックスは隙を見て、ルシガの唇にキスをした。

「……お……おい!」
「いいじゃない。誰も見てないわ」
「……」

 周りでも夫婦、恋人同士、親子達が、そこかしこでキスをしあっていた。

「ハッピー・ニュー・イヤー、ルシガ……」
「……ハッピー・ニュー・イヤー、アレックス」

 そう言って、今度は互いに唇を重ねる。
 触れるか触れないかの優しいキスだが、重ねた部分だけでなく、心までも温かくなった。

「食事はまだだろう? 何か食べに行くか?」
「今日はどこに行っても、パーティーばかりでロクな食べ物はないわ。ねえ、橋を戻ってスーパーへ行かない?おいしいデリカテッセンコーナーがあるのよ。それを買ってうちに来ない?」

 アレックスの提案に、二人はスーパーに向かって歩き出した。




 アレックスの言うスーパーとは、新市街地の一角にある高級食材店の事だった。
 ルシガはスーパーに入ること自体が珍しいらしく、カートを握ってキョロキョロしていた。

「ふーん。野菜って意外に高いんだな」
「うふふ。ここは高級店ですもの、特別よ」
「いつもこんなところで買い物してるのか? お前、公務員だろう」
「やーね。特別な時だけよ。あ、でもここの生トマトと、特製トマトソースは絶品よ」

 そういってウィンクすると、トマトを小さな箱ごとカートに入れる。

「ねえ、チーズはいる?」
「ああ・・・シャンパンも買おう」
「じゃ、苺もいるわね」
「ああ、これがいい」
「いやん。高いわよ、これ」
「いいさ。新年だし」
「……ねえ……ルシガぁ……」
「ん?」

 アレックスが、下を向いて頬を赤らめている。

「なんだ? アレックス?」
「ルシガ……こうしてる、アタシ達って……なんだか、新婚さんみたい……?」
「なっ……何言ってるんだバカ!」

 そう言ったルシガの顔が、今度は赤くなった。

「ほら、惣菜を買うぞ、惣菜!」

 ルシガはカートをガラガラ進めて、足早に歩き出しデリカテッセンのコーナーに行った。

「へぇー。結構凝った料理があるんだな」
「新年だし、ここだからあるのよ。良かった、まだ良いのが残ってるわね」
「ラムチョップのマスタードソース……うん。これがいい」
「あ、いいわねぇ、じゃアタシも♡」
「お! フォアグラもある」
「じゃ、前菜はサラダにして……パンも買いましょ」
「ポテトも食いたいな」
「それは揚げてあげる」

 そんな話をしながら、二人は大量に買い物をした。
 会計を済ませると、大きな紙袋を一人が一つずつ持つほどの量になった。

 店を出ると、路面に薄らと雪が積もっている。

「あっ!」

 アレックスが足を取られ滑りかけた瞬間、ルシガが腕を持ってその身体を支えた。

「大丈夫か?」
「ええ。ありがとう」

 アレックスの身体を起こすと、ルシガは再びその手を差し出した。

「えっ?」
「また滑るだろう」

 差し出されたその手を握り、アレックスが恥ずかしげに微笑んだ。
 手を繋ぐのはこれで二度目だった。
 南国の旅行以来の温もりが、アレックスの心を幸せで満たした。




 その時……

 二人は何やら視線を感じ、同時に前方を見た。

「ぁっ!」

 アレックスが小さな声をあげた先には、一人の男が佇んでいた。
 筋肉質な大男であることが、暗がりでも感じられる。
 偶然通りかかったその男は、アレックスがかつて関係を持った相手の1人だった。

「……や……やぁ……」

 男はぎこちなく、手を挙げて挨拶した。
 気まずい空気が流れる。

「あら……お久しぶり……」

 アレックスは出来るだけ自然に振舞おうとしたが、出て来たのは不自然極まりないセリフだった。

「じゃあね。……行きましょう、ルシガ」

 そう言って歩き出したが、握りしめた手を通して ルシガの感情が伝わって来た。




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Date:2011/03/03
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