美しい女だった。
少しウェーブのかかった短めの金髪に、透けるような白い肌、そして南国の海の様なブルーアイ。
ツンととがった鼻先を持った、冷たい美貌の持ち主だった。
その女は白いロングコートを羽織り、この暗闇の中、山間の広い道路の脇に座り込んでいる。
「ああ……お腹がすいた。早く誰か通らないかしら……」
女がそう呟いた時、遠くから車の走る小さな音が聞こえた。
「来たっ!」
女は置いてあった大きなリュックを持って立ち上がると、ロングコートボタンを外し、その長い脚の片方を突き出した。
10cm近くある赤いハイヒールに、ガーターベルトに止められた黒いストッキングがその隙間から覗く。
そして親指を立て、車が来るのを待った。
「ああ……どうか、男でありますように」
彼女……いや、実は彼……にとって、これは釣りなのだ。
そうでなければこんな深夜、人里離れたこんな場所で餌をまいたりはしない。
彼の統計によると、深夜にこの恰好で立っていると、男であれば90パーセントの確率で引っかかるのだ。
逆に女だとほとんどが素通りである。
しかも引っかかる男は、大抵は1人で車を運転していた。
こんな良い上条件が揃った釣り場は、市街地にはない。
それ故彼は小雪が舞い散る寒空の下、こんな恰好でここに立っているのである。
まっすぐ走って来た車が、彼に気付いたようだった。
スピードを下げ、車が止まると、若い男が恥ずかしげに声をかけてきた。
「どこまでいくんですか?」
『やった! 上物だわ!』
彼の心が躍った。
若い男はふっくらぽちゃぽちゃで、いかにも人が良さそうだ。
赤毛で、ソバカスがいっぱいなこの手のタイプは、得てして味が良いのを彼は知っていた。
「道に迷っちゃったの……車に乗せてくれる?」
彼の申し出に、車の主は顔を赤らめて言った。
「いいですけど……あの……その……コートのボタンを留めてくれますか?」
「あら? どうして? ……んふふふ。純情なのね、わかったわ」
そうして彼はコートのボタンを止めると、車のドアを開けて中に入り込んだ。
「ど……どこに行くんですか?」
「イキたいところに、連れてイってくれるの?……親切なのね」
思惑ありげに目を細めると、彼はでたらめな道を言って、車を山中に引き込んだ。
気がつけば崖っぷち近くで車は身動きが出来なくなった。
「暗くって道に迷っちゃったわ。ごめんなさい」
「あ……えっと……あの、どうしましょう?」
「今夜はここで寝ましょう。日が昇らないと道がわからないわ」
「あ……はい」
「ねえ、君。名前はなんて言うの? アタシはアレックスよ」
そう言うとアレックスは、車のシートを倒した。
こうすると大抵の男は襲ってくるのだが、この車の主は違っていた。
「ぼ……僕は、ジョージです」
「そう……ねえ、ジョージも寝たら?」
「あ……はい」
ジョージはシートを倒したが、手を胸元に組んで、棒のように横になっただけだった。
まどろっこしくなったアレックスは、彼に誘いをかけた。
手を伸ばし胸のボタンを外しかけたら、意外にもジョージはその手を弾いてきた。
「や……やめてください! 僕には婚約者がいます!」
今時珍し過ぎる事を言うこの手のタイプは、特殊な宗教に入っていて、童貞の確率が高いのだ。
「もしかして……結婚前は禁じられてるの?」
「……結婚後も、妻だけです!」
『ビンゴ―!』
アレックスは心の中で、ガッツポーズをした。
童貞の味は格別だ。
「じゃあ……暗くて怖いから、手だけ握って」
そう言って、強引に手を握る。
ジョージは一瞬手を跳ね除けようとしたが「あれ?……なんだか気分が……」と言うと、深い眠りに落ちていった。
アレックスが指先からその血を抜き取った為、貧血で気を失ったのだ。
そう、彼は吸血鬼。
その指先からでも、普段は隠れている牙からでも血が吸える、人ではない者なのだ。
「ふふふ。面倒なことをしなくって、血だけ貰うのはなんだか悪いみたい。それにしても童貞なんて、久しぶりだわ。これは直接頂きたいわよね……」
上物の血を、指先で吸い取ってはもったいない。
その甘く香り高い血を心行くまで味わうには、やはり直接吸うに限る。
しかし『いかにも吸血鬼にやられましたー!』な痕は付けたくないので、アレックスはジョージのズボンをパンツごとずらした。
「うふ。大動脈はここにも出てるのよ~。さーて、いただきまーす♡」
アレックスは、ジョージの股間に顔をうずめた。
正確には内腿の大動脈から、その血を啜ったのだ。
「うんっまーい! もうちょっとだけ、ちょうだいねー」
再び齧り付く。
「いやーん。堪んない。もうちょっと!」
ごくん、ごっくん、ごっくん……。
「あら……? やだっ! やっちゃった?」
アレックスが気付くと、そこには血を吸い尽くされ、青白くなったジョージが横たわっていた。
「……飲みすぎちゃったわ。どーしよう……」
どうしようも、こうしようもない。
ジョージの心臓は既に止まってしまったのだから。
吸血鬼界に置いて、人間の血を吸いつくすのはタブーだった。
その存在を知られながらも細々と生きて来られたのは、この暗黙の了解に従っていたからだ。
その為、致死量にいたる血を吸う事は通常はなかった。
しかし今回はあまりにその血が旨かった上に、久しぶりの食事で餓え切っていたので、吸いつくしてしまったのだ。
「えっとぉ……こういう場合は『チュカパブラ』よね」
アレックスはそう言うとリュックの中から、こんな時のためのチュカパブラ棒を出した。
その柄を伸ばすと、地に足がつかないよう身体を浮かしながら外に出て、チュカパブラの足跡を付け始めた。
『チュカパブラ」とは日本における『ツチノコ』のような、南米の伝説的生物である。(このお話の舞台はUSAだが、細かいことは気にしないように。)
家畜の血を吸いつくすと言うその正体は、実は『血を吸い過ぎた吸血鬼による、事後処理』なのであった。
アレックスはチュカパブラの足跡をつけ終わると、座席のシートを元に戻し、自分がいた痕跡を消した。
それから大きな石を布に包んで、ジョージ側の窓ガラスを割った。
「こんなものでいいかしら?」
一仕事終えたアレックスは、リュックを抱えると、足跡をつけないようにその場を去って行った。
その葬式の最中、あちらこちらでひそひそと、噂話がされていた。
『車の中で自慰しようとズボンを脱いだところに、チュカパブラがガラスを割って車内に飛び込んできて、股から血を吸ったそうよ』
『まあ、不潔!』
なんとも不名誉な言われように、アレックスは心の中で『ジョージ、ごめんね』と言った。
この事件は地元どころか全米のニュースになり、家の外にはマスコミが押しかけていた。アレックスは学生時代の親友と偽り、黒の男物のスーツを着てこの葬式に忍び込んでいたのだ。
あんな形で図らずもジョージを殺してしまったので、そのお詫びに、家族にお悔やみの一言を言いたかった。
祭壇に近づくと、その近くで涙ぐむ黒髪の絶世の美女がいた。
『彼女も可哀そうにね。あんな婚約者を持って』と後ろで囁き合っている。
アレックスが戸惑いながらも、彼女に声をかけようとした瞬間、男が間に割って入って来た。
そのまま腕を引っ張られ、部屋の隅に連れて行かれる。
「悪いが、今は妹に話しかけないでくれないか」
その男と目があった時、アレックスのハートの鐘が鳴った。
男は長身のアレックスより5cmは高く、広い肩幅と熱い胸板を持った美男だった。
長い黒髪を後ろで一つにまとめ、目尻の切れあがった濃紺の眼差しが芸術作品のように美しい。
高い鼻と形の良い唇が知的な印象を与えていた。
絶世の美女の兄だけに、素晴らしい美貌の持ち主だった。
『いやん、超好み!』アレックスの目は、ギラギラに輝いた。
「君はジョージとはどういう関係なんだ? 初めて見る顔だが?」
「えっと、学生時代の友人です」
「医学部のか? 見たことない顔だな?」
アレックスの背中に冷や汗が流れた。
「いえ……もっと小さな頃の」
「ネブラスカ州から、わざわざ来たのか?」
「いえ……あの、つい最近こちらで再会して……」
「そうか。……妹は今酷く落ち込んでいる。話があったら後日にしてくれるか?」
「はい。わかりました。……あの、お名前は?」
「名前? 私のか? ……ルシガだ。あいつとは医学部の先輩後輩で、職場でも上司だった」
そこで年配の女性がルシガを呼びに来て、彼は去っていってしまった。
『ルシガ……お医者さん……いやん、最高だわっ!』
吸血鬼界で医者と付き合うのは『玉の輿に乗る』と言われている。
理解のある恋人は、血液の横流しをしてくれることもあるからだ。
もちろん理解どころか実験材料にしようとする輩もいるだろうが、吸血鬼は感がいいのでハズレを引くことはまずない。
そしてアレックスはこの時思ったのである。
『でもルシガは、きっと理解してくれる。血もおいしそうだし、優しい上に、ナニもデカくてセックスも最高のはず』
途中から妄想が入っているが、彼はここで最高の恋人候補を見つけたのである。
そう吸血鬼アレックスは、女装で男を引っ掛けるだけではなく、根っからの男好きなのだった。
『しかしどう見ても、女好きなのよね~。でも、モノにして見せるわ。んふふふ』
こうしてアレックスの、玉の輿計画は始まったのであった。
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