黒髪の青年は、男達に不敵な笑みを見せた。
「なんだ貴様は!」
アレックスを はがい締めにしている男の怒声が響いた。
「熱くなるな。その坊やを返してもらうだけだ」
「なんだと? ふざけるな! おいてめえら、こいつをやっつけてしまえ!」
そのかけ声に、アレックスの脚を抱え上げていた二人の男が、青年に向かっていく。
黒髪の青年は殴りかかってきた男の拳を肘で受け止めると、躰を潜り込ませ、顎に拳を打ち込んだ。
一人目の男があっけなく倒れる。
次に向かってきた相手も、青年に鳩尾を足蹴にされると、先に倒れた男の上に折り重なるようにして地に伏せた。
一瞬の出来事に、アレックスを拘束している男が唖然とする。
その隙を見てアレックスは男の手に噛み付き、肘鉄を食らわし自由を得た。
「こ……この野郎……」
男は懐からナイフをを取り出すと、その切っ先をアレックスに向けた。
切りつけられると思った瞬間、青年がその躰を庇い、足でナイフを蹴り落とした。
流れるような動作から、幾多の荒場を乗り越えた経験が感じられた。
手を蹴り上げられた男は、腕を押さえ、うなり声混じりに叫んだ。
「ち……畜生、覚えてろよ!」
男は仲間を引き連れると、逃げるようにしてその場を後にした。
その姿を見送り、青年はアレックスを振り返る。
「坊や。なかなかやるじゃないか」
その言葉に、アレックスはかっと熱くなった。
目の前に、もう二度と会えないと思ったあの男がいる。
しかもまたしても失態を見られてしまったことを、アレックスは恥じた。
頬が染まり首筋まで紅くなっているのが、自分でも分かった。
「……じゃない」
「ん?」
「坊やじゃない!」
「これは……失礼した。さあ、家まで馬車でお送りしよう」
差し出された手を振り払うと、アレックスは声を荒げて言った。
「必要ない!」
その言葉を残し、アレックスは駆けだした。
走り去るその姿を見て、男が呟く。
「やれやれ……嫌われてしまったようだな」
その言葉とは裏腹に、男の表情は楽しげだった。
アレックスは屋敷に戻ると自室に籠もった。
羞恥と後悔とが交互に彼を苛んでいた。
ブグロー男爵の家で裸体を晒した時や、情けなくも浚われそうになった時に限って、運悪くあの男に出くわすのだ。
どちらも男としては他人に知られたくない、耐えがたい事だった。
そんな場面にあの男は颯爽と現れ、あっさりと問題を解決していくのだ。
アレックスはベッドに伏せながら、未だ冷めぬ頬の火照りをもてあましていた。
あの挑んでくるような濃紺の瞳を思い出しただけで、躰が粟立つのは何故だろう?
男の低く艶のある声が、頭から離れない。
―― 坊や。なかなかやるじゃないか。
その声は麻薬のように、アレックスの心を痺れさせた。
絹のシーツを掴むとキュッと音を立て、ドレープが描かれる。
「あっ!」
アレックスは弾かれたように、急に小さな叫び声を上げた。
助けてもらったのに、礼も言わぬままその場を走り去ったのを思い出したのだ。
「ああ……もう」
アレックスは羽根枕を抱え、その顔を埋めた。
感情を捨てて生きていくと決めたのに、あの男のことを思うとそれが崩れそうになる。
名前も知らぬ男の存在が 自分の中で大きくなっていくのを、アレックスは認めたくなかった。
翌日、ブグロー男爵が、幾人かの警備を屋敷に差し向けてきた。
男爵はアレックスの身を案じ、彼が屋敷に来ることを望んだが、アレックスは頑なにそれを拒んだ。
警備と言っても全ての宝物は叔父の乗った馬車の中にあったので、屋敷全体の警護と、書斎にある空の大金庫が重点的に守られるだけだった。
アレックスは側にいた方が危険と言うことで、警備員に守られた寝室で夜を迎えることになった。
――こんな時ですら僕は部外者だ……。
アレックスは一人唇を噛んだ。
悔しさよりも悲しみににた諦めが、彼の心を支配していた。
ゆっくりと夜が更けていく。
気がつけば何も起こらぬまま時は過ぎ、ランプの明かりがジリジリと消えかかったのを見て、アレックスは読みかけの本を閉じた。
怪盗ヴァイオレットが現れる気配は、一向にないようだ。
やはりあの予告状は誰かの悪戯だったに違いない。
盗まれる『白き宝石』自体が、この屋敷にはないのだから……。
アレックスにとっては雲を掴むような怪盗の話しよりも、一日一日迫ってくる約束の日の方が重要だった。
――今日もまた一日が過ぎてしまった。
アレックスは寝る身支度を調えると、ベッドにその躰を滑り込ませた。
目を瞑ると昨日の男の姿が目に浮かんできた。
そのことに驚き、アレックスの飛び起きた。
鼓動が胸の奥で小鳥のようにさえずっている。
――どうしてなんだ? 何故気になる?
男のことを思い出し身体が火照る自分を、アレックスはどうすることもできなかった。
そんな時アレックスは、ブグロー男爵の姿を思い浮かべることにする。
甘い夢が一瞬にして現実に引き戻される。
――もうすぐ誕生日だ。
これは魔法の言葉だった。
限られた時間を、実ることのない思いで煩わされるのは辛すぎる。
シルクのシーツにその身をゆだね、アレックスは静かな眠りに落ちていこうと努めた。
真夜中を過ぎて――
死角をつたい黒の人影が、屋根から屋敷の中へ進入したのを知る者はいなかった。
主の寝室の前で一人欠伸をしながら警備をしていた男の鼻が、眠り薬を垂らしたハンカチによって塞がれた。
より深い眠りに入り込んだ警備を床に寝かせると、黒い人影は鍵を開け寝室に入った。
音も立てずベッドに忍び寄ると、男は月の光に照らし出された美しい顔を見下ろした。
乱れた金髪を指先でたどると、アレックスが目を覚ました。
出そうとしたアレックスの声が、男の唇によって塞がれる。
「ン……うぅんっ!」
握った拳で叩いても、男の躰はビクともしなかった。
熱い唇に激しく吸われ、アレックスの躰から次第に力が抜けていく。
仮面から覗く男の瞳に、アレックスは囚われていた。
――意志の強そうな濃紺の瞳……。
その瞳を食い入るようにアレックスは見つめた。
男の舌が唇を割って入り込んできた。
情熱的な口づけは、背筋を何かが這い上がるような快感を彼に与えた。
ひとしきり唇を貪られた後、男は唇を離し耳元で囁いた。
「……助けを呼んでもいいんだぞ」
――この声!
腰が抜けるような低く艶やかな声……。
アレックスはただ男を見つめた。
その瞳やすっとした鼻筋、そして形の良い唇も 彼が知っているものだった。
「貴方は誰?」
アレックスの問いかけに、男は片頬をあげて笑った。
「我が名は怪盗ヴァイオレット。白き宝石を貰いに来た」
「宝石なんて……!」
そう言うアレックの目の前で、男は小さな瓶を取り出した。
スポイトで液を吸い取ると、それを彼の口元に運んだ。
「飲みなさい。……その方が楽だ」
アレックスは頭を振ったが、顎を掴まれ、強引に液を口腔内に流し込まれた。
きつい百合の香りがしたかと思うと、躰が熱く蕩けだしていった。
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