Part1:アレックスの苛立ち
「もう子供じゃないんだ! 放っておいて!」
そう言って僕は、雪の舞い散るニューヨークの街角を駈け出した。
「アレックス! 走るんじゃない。滑るぞ」
「子供扱いするな!」
地下鉄に乗ろうと角を曲がったところで、言われたとおり凍った路面に滑って転んだ。
「……痛っ」
倒れ込んだ拍子に、肘を強く打ってしまったようだ。
悔しさで涙が出そうになるのをぐっとこらえる。
このニューヨークで23歳になる男を、子供扱いするなんてアイツぐらいなものだ。
僕は大学を飛び級して、医師の免許だって持っている。
そんな僕を、アイツはいつまでたっても自立させてくれないのだ。
アイツに初めて会ったのは、僕が17歳の時だった。
両親を事故で亡くし、弔いに現れたアイツから「君の両親とは友達だった。大学を卒業するまで、面倒を見るよ」と言われた時、正直戸惑った。
30歳過ぎにしか見えない彼が、両親の友達というのに違和感を感じた。
長い黒髪を後ろで一つにまとめた姿も、普通の勤め人には見えなかった。
しかし保険金も入らない僕を、医学部に行かせてくれる親戚などいない僕にとって、これ以上の申し出はなかった。
アイツが唯一出した条件は、僕が大学を卒業するまで同居する事だった。
かといって僕に家事をさせられるわけでもなく、勉強に集中できる最高の環境を与えてくれた。
その恩に報いるため、僕は勉強に励んだ。
そしてやっと大学を卒業してインターンシップの期間が来たというのに、アイツは僕の自立を許そうとしないのだ。
今もセントラルパーク沿いにあるカフェでその話題になり、喧嘩してこのざまだ。
僕は雪を払いのけ立ち上がると、地下鉄のホームに向かった。
改札を抜け、やみくもに地下鉄に乗る。
家には帰りたくなかった。
だからと言って、僕はアイツを嫌いなわけじゃなかった。
――むしろ、好き。
――いや、恋い焦がれている。
アイツに見つめられただけで、頬が染まるのがわかるくらい動揺する。
それはもしかしたら、出会った瞬間から感じていた感情かもしれなかった。
そうなければ、得体の知れない男の世話になるなど、いくら世間知らずの僕でもしなかっただろう。
それなのにアイツは、こんな僕の気持ちなど知らず、夜な夜な、夜の街へ出かけていく。
帰宅した時に漂う香水や、化粧の香り……。
それがどれほど辛いか、アイツは知らないんだ。
もちろん僕がアイツを想い、一人で慰めていることなんかも……。
僕は悲し気持ちで、アイツの背中を目で追うことしかできなくなっていた。
あの切れ長の魅惑的な濃紺の瞳を、まともに見ることなんか出来やしなかった。
そしていつしか、それすら耐えられなくなくなってしまった。
僕はアイツから離れたかった。
それがアイツを諦める為なのか、何なのか、既にわからなくなっていた。
ただ家を出る時は、アイツに納得してもらいたかった。
喧嘩別れをして、顔すら見れなくなるのが怖くて堪らなかった。
こんな僕も、アイツの出会う前は 普通に女の子と恋をしていた。
なのに、どうしてこうなってしまったのか……。
恩人に想いを寄せるなんて、まるで少女小説じゃないか。
そんな事をぼんやり考えながら揺られていると、気がついたらブルックリンの治安の悪い地区を電車が走っていた。
乗って来る人々の恰好で、低所得者の多いエリアだとわかる。
まずいっと思った瞬間、いきなり腕を掴まれた。
「綺麗な金髪だな。ブルーアイのお嬢さん」
知らぬ間に、3人のヒスパニック系の男達に囲まれていた。
そして電車が止まると、そのまま外に連れ出されてしまった。
「ヒューッ。こんな別嬪さん、見たことないな」
「付き合ってもらうぜ」
「は……放してください。お金なら払います」
「おや? 俺たちに金を恵んでくれるんだとよ! こりゃあいいや、金付きの躰とはな!」
二人の男に両腕を掴まれ、もう一人の男に後ろから首筋を舐められた。
「やっ……」
「『やっ……』だってよ、可愛いな。ははははっ」
その時。
今まで笑っていた男の顔色が、一瞬にして変わった。
まるで恐ろしい獣にでも出会ったような顔をしていた。
僕はその男の見ている方向に、顔を傾けた。
「ルシガ!」
そこにはアイツが立っていた。
濃紺の瞳は、何故だか炎の様に紅く見えた。
それ以外はいつもと変わらないはずなのに、何がどう違うのかわからないが、別人のように思えた。
「手を放せ」
アイツの一言に、男達は蛇に睨まれた蛙の様におとなしくなった。
そして僕の手を放すと、散り散りになって逃げて行った。
「大丈夫か?」
気がつけば、アイツの瞳の色が元に戻っていた。
あれは錯覚だったんだろうか?
「何故なんだよ? どうしていつもそうなんだよ!」
まるで僕の行動を監視してるかのように、アイツはこうして危険な時に現れる。
学生時代にも、2度ほど助けられたことがあったのだから、偶然とは思えなかった。
「僕を監視でもしてるの? いつもいつも現れて、気味が悪いじゃないか!」
礼を言うべき立場なのに、八つ当たりのように辛辣な言葉を投げつけていた。
わけもわからず自然に溢れる涙を、僕は止める事が出来なかった。
男に襲われかけたのが悔しかったのか?
見張られているのが嫌だったのか?
僕は子供でもなければ、女でもない。
過保護のように守られるのはごめんだ。
くしゃくしゃになって涙を流す僕を抱き寄せると、アイツは優しく言った。
「アレックス、帰ろう」
「嫌だ! 離せ!」
アイツの胸を拳で叩いたが、びくともせずに僕は抱きすくめられた。
「畜生! 畜生!」
そう繰り返しながら、嗚咽だけは漏らすまいと僕は必死に堪えていた。
Part2:ルシガの戸惑い
長い年月を ひたすら再び愛しい人に巡り合う為だけに、漂っていた。
輪廻転生を信じながら……。
しかし流れていく時はあまりに永く……もう2度と会えないのだと、思い始めていた。
そんなある雨の日。
私は人間達がそうするように、傘をさして歩いていた。黒い傘に黒い服。ただ足の赴くまま歩いた。悲しみに誘われたのか、気がつけば墓地へ辿り着いていた。吸血鬼が来るには相応しい場所だと、自嘲した。
来客者も少ない、ささやかな葬式が行われていた。私と同じように黒い傘に黒い服を着た人々の上を、冷たい雨が降り注いでいた。その風情があまりにも悲しげで、私は太い木の横に立ち、ただそれを眺めていた。
しかし次の瞬間、我が目を疑った。
アレクシス!
もう二度と会えぬと思っていた恋人がそこにいた。
別れた時より幾分若く、少年の姿をしていたが、間違いなく私のアレクシスだった。
輝く金色の髪に 夏の空よりも鮮やかな青い瞳、透ける様な白い肌の鼻先は、悲しみにくれて赤く染まっていた。
アレクシス!
どれほどの時間、お前を探し求めていた事だろう。
少しでもお前に近づく為、私は人ごみに紛れ葬儀に参列した。
人々は口々にお悔やみの言葉を述べていたが、離れた場所では『どうしよう。うちは引き取れないわ』『もう17歳だから、自立できるんじゃないか?』『保険も出ないなんてねぇ』と、ひそひそと話し合っていた。
花を手向けるふりをして、私はお前に近付いた。懐かしい匂いがした。それは私が彼女を仲間にする前と、同じ香りだった。 その場で抱きしめたいのをぐっと我慢し、私はお前に話しかけた。
「君の両親とは友達だった。学校を卒業するまで、面倒を見るよ」
その場で思いついたでまかせに、お前は一瞬考え「……いいんですか?」と答えた。
「もちろんだ。名前は……ええと……」
「アレックスです」
アレックス!
アレックスの語源は、性別の差はあれどアレクシスと同じだ。
この時、私は見つけたと思った。二百年以上前の雪の日、私の目の前で炎の中楔を打ち込まれ、灰となって消えた最愛の人の生まれ変わりを。
気が遠くなるような年月探し求め、見つけ切れなかった愛しい人が、諦めかけた頃に目の前に現れたのだ。
しかしお前は、何も覚えてはいなかった。
そして仲間にするには若過ぎた。
吸血鬼は時を止めてしまう。今お前に私の血を与えたら、成長期のさなかに年を止めることになる。
それはお前の後々の生活を、困難なものにする。
だから私は考えた。お前が大学を出る26歳まで待とうと。それは奇しくも愛しい人が消えた歳だった。その年までお前を待てば、もしかしたら彼は思い出すかもしれない。愛し合った2人の日々の事を……。
しかし人間にそんな能力は無く、お前は難しい年頃だった。私を嫌い、私を避けた。
私には自信がなかった。
お前は私を受け入れてくれるだろうか? 愛してくれるだろうか?
そして我の運命に、ついて来てくれるだろうか?
そんな不安を忘れるため、女を抱いた。
行きずりの女は、ほんの一時の快楽と、新鮮な血液を私にくれた。女が眠ると、私はそっとその首筋に手を当てて、少しばかりの新鮮な血を吸い取った。そう、相手に気付かれぬ程度の少量の血を……。
女を抱き終わり家に帰ると、私はお前の嫌悪感を感じた。
どこまでも清らかな、私のアレックス。
お前を手に入れられるのなら、私は何でもしよう。……しかしそんな事も言えぬほど、私は怯えていた。
拒絶されるくらいなら、このまま触れぬ方が良いのではないかと、私は迷っていた。
お前がが近くにいてくれる……それだけが私の幸福だった。
それなのに月日は残酷に流れ、お前は何年も飛び級し、大学を卒業してしまった。
インターンシップが始まり、1人暮らしを求められた。
感謝祭まで、クリスマスが終わるまで……と引き伸ばしたが、もう限界が来ていた。
私のアレックスが離れて行ってしまう……。
嫌われている私が、どうやればお前をを引きとめられるのか。夜眠りについたお前を見ながら、何度仲間に加えてしまおうと思った事か。
しかしそれはエゴでしかないのだ。納得もせずにヴァンパイアにされたら、お前は決して私を許さないだろう。
そんな時、小さな事件が起こった。
助け出したお前は今、タクシーの中で私の隣に座っている。不満からか私と目を合わせず、ずっと窓の外を見ている。
こんな近くにお前がいるのは、久しぶりのことだった。その首筋は、血管が薄く透けて見えるほど白かった。
体温が空気を暖かくし、甘やかな香りが私を誘っている……。
今すぐその首にかぶりつき、お前を仲間に加えたい……その衝動を、私は必死に抑えていた。
TOP NEXT参加しています。よろしかったら、ポチお願いします。
↓
にほんブログ村
Information