ルシガはその日一日、アレックスの事ばっかり考えていた。
手術で内臓を見ても『アレックスの心臓はもっと可愛いだろうな』と思ったくらいなので、重症である。
それくらいなので、家に帰っても、彼の顔をまともに見ることが出来なかった。
「おかえりなさーい♡」
「……」
「ねえ、ご飯にする? お風呂にする?」
「……」
「ねえったら?」
「……干渉するな」
ルシガは、ぶっきらぼうにそう言った。
「お前の仕事は夕飯を作るまでだ。それが終わったら、私に構うな」
「だって……夕食を温めないと……」
「そのくらい自分で出来る。風呂だって、自分で用意できる!」
「……わかったわ。じゃ、今日だけは料理を温めさせて……ね?」
ルシガは返事をしなかった。
それでもアレックスは、かいがいしくテーブルセッティングを始める。
カリフラワーのポタージュに、生ハムのサラダ、メインディッシュは血の滴るような牛ヒレのステーキに、マッシュポテトが添えられていた。どれも絶妙の火加減で、それだけで心のこもり具合がわかる。
これを明日からレンジでチンしなけれなならないかと思うと、ルシガは何とも言えない気持ちになった。
「フルーツも食べてね」とアレックスが、食後にデザートを持って来た時、前向きに屈むとVネックの隙間から乳首が覗いて見えた。
『ぴ……ピンクだ……』ルシガは、鼻血が出そうになった。
雪の様に白い肌に咲いたその突起は、美しいピンク色をしていた。
「フルーツなんぞ、いらん!」
そう言ってルシガは立ち上がると、走って自室に引きこもり鍵をかけた。
「はぁはぁはぁ……って、なんで息が上がってるんだ、私はっ!」
ルシガは自分の頬を両手で叩いた。
それからその場に座り込むと、頭を掻き毟りながら唸った。
「くそうっ! くそうっ!」幻影のように目の前をチラつくアレックスのピンクの乳首を、ルシガは必死に振り払う。
そして何を思いついたのか、棚のDVDを漁り始めるとその中の一本を取り出し、高笑いをした。
「はっはっはー! 今から一番すんごいヤツを見ちゃうもんねー! そしてガンガンに抜いてやる!」
職場でクールで渋い外科医と言われているルシガの人格は、完全に崩壊していた。
彼はカーテンを閉めるとDVDを再生した。
ティッシュを用意し、ズボンもパンツも脱いで準備OKである。
TV画面に女の白い肉体が現れる。男優の誇らしげな物を舐め上げているのは、金髪に青い目の美女だった。
花の様に可憐なピンク色の乳首……金髪碧眼……白い肌……。
「んっぎゃ~~~っ!」
ルシガは叫んだ。
一瞬その女がアレックスに見えたからである。
「はぁはぁはぁ……くそうっ、負けんぞ。赤毛のすんごいのもあったはずだ!」ルシガは再びDVDを捜しだした。
しかしその手はすぐに止まった。
ルシガは突然へなへなとその場に座り込むと「私は下半身丸出しで、いったい何をしてるんだ」と頭を抱える。 情けなくて、切なくて、苦しくて……その目に薄っすらと涙が浮かんだ。
その時、先程見た映像とアレックスが重ねて思い出し、男の部分が微かに疼くのを感じてしまった。
「うわぁああああああっ! いっかーんっ!」慌てて気持ちを切り替える為、シャワーを浴びに行こうと部屋を飛び出したその時、アレックスと扉の前で鉢合わせた。
「ふんぎゃ~~~~っ! 何でお前がここにいるんだ?」
「だって泣き声とか、笑い声とか、叫び声が聞こえたから……って、どうしたの、その格好……?」
Yシャツの隙間から、ルシガの立派な物がお顔を出していた。
「ひぇ~~~っ! こ、こら。私のプライバシーを詮索するなと言ったはずだ!」
「だってルシガ、おかしいんだもの。……もしかして仕事のストレス?」
「うるさーいっ!」
そう言うとルシガは、バスルームに駆け込んで言った。
ルシガがシャワーを浴びている間、アレックスはバスローブを用意しながら、心配でならなかった。
外科医は何かとストレスが多と聞く。
今日だって帰って来たのは十一時近くだったし、日によっては手術を3件こなしたりすることもあるらしい。
「帰って来た時から変だったもの……きっと精神的に参ってるんだわ。どうしたらいいんだろう?」
その時アレックスは、はっと閃いた。
「こういう時は馬鹿馬鹿しいのを見て、思いっきり笑うのがいいわよね~。んふふ」そう言うと、鼻歌を歌いながら自分の部屋に入って行った。
ルシガは真冬だと言うのに、冷水を浴びていた。
「負けないぞ。負けないぞ。負けないぞ……」とシャワーを浴びるその姿は、まるで煩悩と格闘する修行僧のようだった。
シャワーを浴び終わり、脱衣所に出ると、着替えを持ってこなかった事に気づく。
仕方ないのでシャツを着ようと思ったら、バスローブが用意されているではないか。
「畜生……何でこんなことまで、気が利くんだ……」と言いながら、洗い立てのバスローブを着た。
柔らかな質感が身体を心地よく包んだ。
そしてノブを回しバスルームを出た瞬間、大音量でサンバのリズムが聞こえてきた。
「アレックスの、お尻カスタネットショー!」と言う、声と共にアレックスが部屋から出てきた。
ハイヒールを履いてサンバを踊りながら、Tバックに括り付けたカスタネットを、尻の肉でリズムに合わせてカチカチカチと打っている。
下半身は黒のTバックとハイヒール、そしてガーターベルトに繋がれた網タイツ。
上半身母だかで、頭にはウサギの耳を付けていた。
アレックスはルシガに尻を向け、笑ってもらうために踊っていたが、彼にとっては鼻血物の光景であった。
「ば、馬鹿野郎! 何をやってるんだ!」
「何って、お尻カスタネットよ?」
「馬鹿かお前は!」
「だってルシガがストレスが溜まってるみたいだから、楽しんでもらおうと思って」
「お前がストレスなんだっ!」
ルシガが叫んだとき、空気が固まった。
ふと見るとアレックスの目が涙で潤んでいた。
「アタシ、迷惑?」
「ああ、迷惑だ!」
「アタシの事……嫌い?」
「ああ、嫌いだ。……って言うか、もう、勘弁してくれっ!」
「うわ―ん……」と泣きながら走っていくアレックスを、カスタネットの音が、カチカチカチと追う。
「嫌いだ。……お前なんか、嫌いだ」ルシガは、まるでうわ言の様に呟き続けた。
ルシガは部屋の中で落ち込んでいた。
アレックスを傷付けてしまった……そう思うと、胸がキリキリと痛んだ。
それと同時に、カスタネットを打っていた、あの白い尻が追い払っても、追い払っても、目の前をチラついてどうしようもなかった。
「いったいどうすりゃあいいんだ……」ベッドに潜り込み、丸くなって頭を抱えていると、車の発進する音がした。胸騒ぎがして窓の外を見ると、アレックスの車が走り出していくのが見えた。
慌てて彼の部屋に行くと……
『 ルシガへ
今までありがとうございました。
不快な思いをさせてごめんなさい。
アレックスより 』
と書かれた、メモが置いてあった。部屋には荷物が何もなかった。
ガランとした部屋に立ち、ルシガは動揺した。
アレックスが出て行ってしまった。あれほどの事を言ったのだから、当然と言えば当然だが、彼はその現実を受け入れられずにいた。
今離れ離れになったら、もう二度と会えない気がした。ルシガは自分の気持ちを認めたくなかったが、それに向き合う時が来たようだった。
アレックスが気になっている……いや、それ以上……気がつけばこの二週間の間に、彼はいつもそばにいて当然の存在になっていた。
そして彼が来てから、女を抱く気にならなかったのも事実だ。
いや、素直に認めるのなら、アレックスに性的な魅力を感じていた。
肉欲を愛と呼ぶのは愚かなことかもしれない。
だが、それだけでない感情があるのも事実だ。
ルシガはアレックスを追う為、バスローブのまま車に乗って走り出した。
アレックスは鼻先を真っ赤にして、泣きながら車を運転していた。
どこでも良かった。
ルシガから少しでも離れたところに行きたかった。
自分があれほどまでに嫌われているとは思っていなかった。
存在自体がストレスだと言われることくらい、悲しいことはない。
それなのに『あともうちょっとで、落ちるわ』などと思っていたなんて、愚か過ぎて切なかった。
失恋の上に、プライドをズタズタに傷つけられて、アレックスは大泣きした。
「お尻カスタネットは、ホントに好きな人にしか見せないのにぃ……うっぐ、うっぐ。ウサギ耳だって特別なんだから……」
涙で前が見えなくなり、アレックスは車のスピードを落とした。
ただひたすら真っ直ぐ走っていると、後ろからクラクションを鳴らされた。
道を譲る為に脇によると、その車はアレックスの車を通り越すと止まった。
「ちょっと、どう言う事?」苛立ったアレックスは、クラクションを鳴らした。
車から人が出てきて、こちらに近づいてくる。
「誰だか知らないけど今、アタシに近づいたら、何をするかわからないわよ!」
しかしヘッドライトに照らされたその姿は、ルシガだった。
アレックスは慌てて車を発進させようとしたが、対向車があって出来ない。
ルシガは車の隣に来ると、助手席の窓を叩き「開けろ」と言った。
従う義理もないのに、ドアを開けてしまう自分が悲しかった。
「何の用?」
「……金を払ってない」
「いらない。途中で辞めるんだから」
「辞めるな」
「えっ?」
「……辞めるな」
「だって……ストレスだって言ったじゃない。……迷惑だって……言ったじゃない」
アレックスの瞳から涙が零れた。
「嫌いだって……いっ……」
そう言いかけたアレックスの唇が、ルシガの唇によって塞がれた。
「……ぅん……っ」
口腔内を撫でるようなキスに、アレックスはうっとりとした。
ら舌を使い、ルシガの舌を絡め取る。
互いに激しく吸い、貪り合った後唇を離してルシガが言った。
「帰って来い」
「どうして?」
「せ……世話をして欲しいからだ」
「世話って、料理とか、洗濯とか、お掃除とか?」
「そうだ」
「セックスは?」
「……うん」
「っえ! 今何て言ったの?」
「ああ、もういいから。帰ろう」
「……はい♡」
そしてルシガが車を出ようとした時、アレックスは「ちょっと待って!」と言って止めた。
「どうした?」
「アタシもルシガに、言わなきゃならない事があるの……」
「なんだ?」
「アタシ、吸血鬼なの」
「そうか……って、えええ~~~っ?」
ルシガが、座席からずり落ちた。
驚きのあまり、金魚のように口がパクパクなっている。
「大丈夫よ、むやみに血は吸わないから。あ、でも……ジョージの血、吸い過ぎちゃった」
「吸い過ぎちゃったって……ええっ? 殺したのはお前か!」
「そんなつもりじゃなかったのよ。つい吸い過ぎちゃったの」
「ついって……、お前が仇なのか?」
「だからわざとじゃなかったのよ、許して」
アレックスはそう言うと、両手を合わせて拝んだ。
そして事の経緯を全て、ルシガに話したのだった。
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