それから二週間、全行程二カ月の英国ロケも終わりに近づいたある日、久しぶりの休日が僕に与えられた。
いつもなら休みと言っても、僕を離さないルシガが、この日は違っていた。
「ロンドン観光に行って来るといい」
そう僕に言ってくれたのだ。
彼に飼われて七カ月。
僕に与えられた初めての自由だった。
デビュー作を撮っている僕の情報は、もうマスコミに流されていた。
ネットに上がった小さな写真を見て、僕のファンだと言う人もいるらしい。
そんな人々に見つからないように、僕は細心の注意を払わなければならなかった。
僕はニット帽と伊達眼鏡で変装して、 従業員出入り口から貸し切りのタクシーを使い街に出た。
ロンドンの街は、雪が降っていた。
まずはビックベンを見に行く。
テムズ川沿いのそれは、威厳に満ちた姿をしていた。
それから大好きな恐竜を見に、自然史博物館に行った。
巨大なディプロドクスの全身骨格を見ていると、雄大な太古に思いを馳せてしまう。
今にも動き出しそうなそれに、僕はワクワクした。
そこでほとんどの時間を過ごすと、僕にはもう行きたい所がなくなった。
タクシーに乗りそのことを告げると、ドライバーが「ロンドンに来たのならテート・ブリテン・ギャラリーにお行きなさい。」と言うので、その言葉に従いギャラリーへ向かってもらう。
着いたのは、小さな可愛い美術館だった。
中に入ると、そこはロマンティックな絵画で満たされていた。
絵心などない僕にでも、それらの絵画には胸が躍った。
そして1枚の小さな絵の前に立った時、僕は鳥肌が立った。
オフィーリアと題されたその絵は、水に仰向けのまま流されて行く、女性の絵だった。
薄く唇を開き水に流れるその女性が、生きているのか、死んでいるのか、シェークスピアなど知らない僕にはわからなかった。
ただ流されるまま、どうする事も出来ない悲哀に、僕は涙が零れそうになった。
テートギャラリーを出ると、もう外は真っ暗だった。僕はタクシーに乗ると、ホテルへ向かった。
ホテルに戻るとティールームで、アフタヌーンティーを頼んでみる。
食事がまずいので有名なロンドンだが、出てきたセットは夢の様に美しく、美味しかった。
スコーンにクローテッドクリームとジャムをたっぷり塗り付け頬張っていると、ルシガがロビーを横切るのが見えた。
外出から戻って来たのか、スーツを着ている。
そんなルシガを眺めていると、その後ろを歩いて行く青年に目が止まった。
このホテルに見合わない、薄汚れた格好をしていたが、その見た目は僕に似ていた。
金髪に生白く透けるような肌、ブルーの瞳は僕よりやや淡く、ハイスクール上級生くらいなのか、僕より若々しく女性的に見えた。
その青年はルシガの後をついて、一緒にエレベーターに乗った。
エレベーターの光を追うと、それは僕とルシガの部屋のある階で止まった。
それを見て、僕の胸が早鐘のように鳴った。
僕は2人を追うようにエレベーターに乗ると、自分の部屋に戻って来た。
廊下の奥のルシガの部屋には、あの青年がいる。
今頃何をしているのかと考えただけで、涙を止める事が出来なかった。
若くて美しい青年だった。
金髪碧眼はルシガの好みなのだろう。
彼は僕に飽きたのだろうか?
新鮮な身体は、それほど魅力的なのだろうか?
枕を抱きしめ、僕は嗚咽を漏らさぬよう一人で泣いた。
ルシガと知り合って僕はある意味強くなり、ある意味弱くなった。
こんなに涙脆くなった自分が情けなくなり、また泣けた。
そしてこの時、僕は自分の感情をやっと認めた。
ルシガを愛している。
どんなに酷い事をされても、心と身体全身が、彼を求めている。
そんな僕に、ルシガは今まで一度もキスをしてくれたことがなかった。
それは彼が僕を『男娼』として見ている証しの様に思えた。
今頃あの青年は、ルシガにキスをしてもらっているのだろうか?
彼がいたら、ルシガは僕を必要としないのだろうか?
苦しさと、侘びしさで凍えそうな身体を、僕は両手で抱きしめた。
そしてあの冷たい水の中を流れる、オフィーリアの姿を思いだした。
それがまるで自分のように思えたからだった。
―――その夜遅く。
いつものように、ノックもせずに部屋に入ってきたルシガの姿を見て、僕は凍り付いた。
「風呂を用意してくれ」
そう言いながら、彼はタキシードのジャケットを脱いだ。
「……パーティー?」
「ああ。疲れた」
タイを解きながら、彼は首を鳴らした。
バスルームに行き、蛇口を捻(ひね)り、バズタブに湯を張る。
ジャバジャバと音を立て流れる水を見ながら、僕は涙を堪えた。
バスタブの縁に凭《もた》れ蛇口に手を持って行く。
湯が指の間を飛沫を散らしながら落ちてゆくのを、僕はぼんやりと見ていた。
ルシガが、僕をパーティーに連れて行かなかった事は、今までになかった。
それが何故、今日は連れて行ってくれなかったのか―――僕の脳裏に、彼の後ろをおずおずと歩く、あの青年の姿が過《よ》ぎった。
ルシガは彼を連れて、パーティーへ行ったのだろうか?
彼のタイを結んだのは、あの青年だったのだろうか?
そう考えただけで、湯船に涙が零れた。
「何をしている?」
後ろから急に声をかけられ、僕は反射的に振り返った。
「泣いてるのか?」
「……何でもない」
僕は立ち上がると、手の甲で涙を拭った。
バスルームを出ようとすると、ルシガに捕まり、その大きな手で顎を掴まれる。
「何があった?」
「……」
「気に食わんな。お前がベッド以外で泣くのは……」
そう言うと、ルシガは唇を重ねてきた。
「や……っ」
あれほど待ち望んでいた口づけなのに、僕は彼を撥ね除けた。
「浮気でもしたか? 身体を見せてみろ」
「ちがっ……」
僕は暴れたが、力ではルシガにかなわなかった。
乱暴に服を剥ぎ取られ、脚を開かされると、いきなり2本の指が僕の蕾に差し込まれた。
「っひ……っ。嫌っ!」
「……抱かれた後はないな」
「お前と一緒にするな!」
僕は彼に、乱暴な口調で言った。それは彼に禁じられていた事だった。
「何?」
「他の男を抱いた手で、僕に触るな!」
感情が僕を支配していた。
彼に逆らったのは、最初の出会い以来だった。
「ふん。お前に私の何がわかる? ……まあいい。だが、反抗した罰は受けてもらうぞ」
「もういいじゃないか! 僕なんてお払い箱なんだろう?」
「まだ分かってないようだな」
ルシガの手で、喉を押さえつけられると、僕は息ができなくなった。
彼の目に残虐な光が走るのが見えた。
「お前は私の物だ。分かるまでその身体に、たっぷりと教え込んでやる」
ルシガは洗面台に置かれたハンドタオルを、僕の口に押し込むと、身体の上に覆い被さってきた。
何度も貫かれ、僕は自分の身体が軋むのを感じていた。
それでもルシガは僕を貫き続けた。
バスルームの壁のタイルに背中を凭れかけて、僕はルシガに抱えられながら、突き上げられていた。
両脚を彼の腰に巻き付け、耳に聞こえるのはじゅくじゅくと混じり合う音と、彼の吐息、そして口をタオルで塞がれた僕の声にならない泣き声だった。
もう何も考えたくなかった。
めちゃくちゃにして欲しかった。
繋がっていることだけが、僕を安心させてくれた。
どんなに憎んでもいい相手なのに……恋しくて仕方なかった。
血が出るほどに苛まれながら、僕はいつしか快感に身をゆだねていた。
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