アレックスが出た後―――ルシガにもすぐに魔法省からの呼びだしがあり、彼は車を走らせていた。
この街は近代的なビルが立ち並ぶ新市街地と、古城や石畳の残る旧市街地に分かれている。
その境界線がラウル川だ。
アレックスのマンションは川の西側の新市街地にあり、魔法省は東側の旧市街地にあった。
川に掛かるベイリック橋を通り抜けると、景色は一転する。
今まで見えた無機質で近代的な世界から、緑が急に多くなったかと思うと、石造りの重厚な歴史的建造物が見えてくるのだ。
ルシガの黒塗りの車は橋を渡り終えると、そのまま大通りを突き抜け、旧市街地の中心にある魔法省に入って行った。
ルシガは車を駐車場に止めると、古めかしいエレベーターを使い事務次官室に向う。
魔法省の建物は、古ぼけてはいるが、豪華な装飾がされた石造りの建物だ。
横に幅広い3階建てのそれは、文化財として守られている。
その3階の広く静かな廊下を、ルシガの長身が歩いて行く。
傾きかけた日差しが、彼の顔を照らしていた。
濃紺の瞳は切れ長で、それを漆黒の睫毛が取り囲んでいる。
高い鼻梁に、形の良い唇……それぞれが引き立てあった、美しい顔だった。
しかしそれは、なよなよした中性的なものではなく、凛とした美しさだ。
緩くウエーブのかかった黒髪は長く、黒ずくめのやや華美な服が、いかにも魔道師という雰囲気を醸し出している。
ルシガは執務室のドアを軽くノックして入ると、秘書の許可も取らずに奥に向かい、その扉を開けた。
あまりに当然のような態度なので、秘書も止めることが出来なかった。
その部屋の主はデスクに座り、ルシガを見て言った。
「相変わらず無礼な方だ」
デスクに座った男は、言葉とは裏腹に楽しそうだ。
しかし彼が本当に楽しんでいるかどうかは分からない。
相手は魔法省きっての切れ者、メイサンなのだ。
彼は縁なしメガネに黒のスーツを着ており、髪を後ろになでつけていた。
この若き事務次官は、有能な魔導師でもあるのだ。
「私に何の用だ、メイサン」
「おや? もうご存知かと思っていました。イザード・ヤーソンが死んだことを」
「知らんな。初耳だ」
「そのわりには驚かないですね」
眼鏡越しのメイサンの目が、意地悪く輝いた。
その表情と慇懃無礼な物言いに、ルシガは嫌悪感を顕わにした。
メイサンの情報網は、この街の隅々まで張り巡らされている。
彼の目となり耳となるものは、どんな形ででも人のプライバシーに侵入することができるのだ。
自分とアレックスの事を知られていてもおかしくないし、先ほどまでの情事を知らないとも言い切れない。
「で、私にどうしろと言うんだ?」
ルシガは話題を切り変えた。
「特別警察が動き出しましてね」
「そうか」
「こちらも面目上、捜査協力をしなければなりません」
「それを私にしろと言うのか?」
「向こうの担当はアレックス・バジルです」
「……」
「ではよろしく」
そう言ってメイサンはニヤリと笑った。
煮ても焼いても食えない奴……それがメイサンだ。
ルシガは返事もせずに、大きな音を立てて扉を閉め、部屋を出た。
断ることが出来る立場であるのに、それをしなかったのは、アレックスの身を思ってのことだった。
特別警察にルシガが現れて、一番驚いたのはアレックスだった。
アレックスの部下の一人であるマシュー・リーは、ルシガを歓迎した。
「ルシガさん、お久しぶりです。また一緒に仕事ができるなんて、思ってもみませんでした。嬉しいな!」
ダークブラウンの髪と瞳を持ったまだ若い青年は、笑顔で言った。
前髪だけが少し長く、ルシガの口元あたりまでしかない身体は、特別捜査官にしてはやや小柄だ。
「例の事件以来ですね。お元気でしたか?あ、魔導師にお元気なんて訊くのはおかしいのかな?」
と陽気に笑う。
しかし他のメンバーは、ルシガの登場をあまり歓迎してないようだった。
もともと魔法省と特別警察は相性が悪い。
管轄が微妙に重なる部分があるのに、その性質があまりにも違うからだ。
その上その例の事件で、途中参加したルシガがその事件を解決ししてしまったのだから、余計に面白くないのだろう。
「お久しぶり。ルシガ」
「ああ……」
先ほどまで情事を交わしていたアレックスと、公的な場で挨拶をするのはむず痒い。
それを聞いてマシューが言った。
「あれ~? 二人とも元気がないじゃないですか! いつも顔を合わせたら、厭味合戦だったのに。どうしたんですか?」
ルシガは言葉に詰まった。
確かに以前はそうだった。
前の事件で初めて会った時は、互いの印象は最悪で、顔を合わせれば皮肉ばかり言い合っていた。
だが恋人同士になった今、こんな場所でどう接していいかわからない。
そんなルシガを察したのか、アレックスが手を叩いて言った。
「無駄口はやめ。さあ、事件のおさらいよ。椅子に座って」
ルシガはマシューに勧められて、彼の隣に座る。
マシューは声をひそめてルシガに言った。
「このところアレックスさんはおかしいんです。あのセクハラ魔が、セクハラしなくなったんですよ!」
「……」
「管内では恋人ができたんじゃないかと、もっぱらの評判です」
「……そうか」
「アレックスさんの恋人ってどんな人なんでしょうね? 興味ありますよね」
そこでアレックスが、マシューを指さして言う。
「そこ。うるさいわよ」
そしてアレックスは長い足を斜めに組むと咳払いをし、話し始めた。
「本日十一時七分。東部地区ランカイ通りを入った路地裏で、男の焼身死体を発見。現場に落ちていた身分証から、魔法省高官のイザード・ヤーソンと判明。DNA検査で本人と確認。自殺か、他殺かは今のところ不明……第一発見者は?」
「その路地に裏口がある飲食店の従業員です。店に忘れ物を取りに来たところ、扉にもたれかかるように死んでいた該者を発見したそうです。」
「スクリーンに写真を写してちょうだい」
暗くなった室内に映し出されたのは、真っ黒に焦げたかつで人であった物体だった。
扉に背を持たれ、足を投げ出すように座っている。
「周りに自殺に使用できそうな物証はなし。油臭くもなかったから……」
「魔術の可能性が高いのか?」
ルシガの問いに―――
「そうね」とアレックスが答えた。
「死体を見せてもらおう」
「……わかったわ。安置室に行きましょう」
「あ。僕も行きます」
「あなたはB班と合流して、現場で昨夜から昼までの情報収集をして来てちょうだい。さあ、ルシガ。こっちよ」
一緒に行きたがるマシューにそう言うと、アレックスはルシガを連れて部屋を出て行った。
二人が出て行った扉を見て、マシューは言った。
「なんだか喧嘩しない二人って寂しいなあ。二人とも体調が悪いのかな?」
二人が想像もできない仲になっていることを、知る由もないマシューだった。
新市街地の西の外れにある、小さなホテルの一室。
安造りのベッドが激しく軋んでいた。
少年は、その男の顔をぼんやりと見ていた。
時折思い出したように「あっ……ああ……」と、慣れた声で演技をする。
男は少年の足を抱えあげ、目をつぶりその行為に没頭していた。
少年は何も感じていなかった。
その男の物は小さく、動きも的を得てないので、行為になれた少年にはかすかな圧迫感があるだけだった。
今まで体験してきたことを思えば、こんな楽な相手はいない。
無理な行為を求めたり、異物を突っ込まれたりしないのを心底ありがたいと思う。
「アミュレ……いいか? いいか?」
何度も聞く男に
「ああ……ユレイク……いい……いい」
と甘えた声で返す。
薄茶色の髪と瞳を持った天使のような少年だったが、しかしその声はガラガラに枯れていた。
変性期特有の声だ。
男の行為を終わらせるのは、少年にとって他愛もないことだった。
尻に力を入れれば、すぐに終わらせることができる。
しかし少年はそれをしなかった。
「ああ……アミュレ……愛している」
「ユレイク……僕も愛してる……」
愛の意味すら理解できなくなった少年は、その言葉を行為中の合言葉のように思っていた。
これからこの男がいなければ、生きてゆけない。
愛してると言い、セックスをするのはその代償なのだ。
何故なら、自分にはそれしかできないのだから……。
男の動きが速くなり、真っ赤な顔で達きになってきた。
もう少しでこの退屈な時間が終わる。
そうすればこの男は、ルームサービスで食事を取ってくれることだろう。
何を食べようかと考えながら、少年は男の動きに合わせ声を張り上げていった。
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